「初めてのおつかい」が、近所のお店に買い物に行くことだと、四歳の己築は知らなかった。
「己築。昨日俺は凄いテレビを見てしまった」
見上げても顔が見えない長身を、しゃがんで己築の顔の位置に合わせて綺麗な顔立ちの青年、志信が言った。
「すごいの? なぁに?」
志信の「凄い」に興味を引かれた己築が首を傾げた。
元々が非常に整った容貌なので、そういう仕草がとても愛らしい。
「お前と同じような年の子が、お父さんお母さんに言われた場所に一人で行って、言われたことをして帰ってくるんだ。一人でだぞ。
どうだ、凄いだろ。お前も凄くなりたくないか?」
「なる!」
己築にとって、父は偉大な人だった。
熊のような大男たちをばったばったとなぎ倒しているところや、
怖い顔の男たちが、子どものように泣きながら父に謝っているところを見たことがある。
そんな凄い父に「凄い」と言われてみたかった。
「よく言った! それでこそ俺の息子だ!」
言われると抱きしめられ、同時に顔中にキスを受ける。
きゃあきゃあ言いながら嬉しそうな己築に、志信は小包を渡した。
「いいか、己築隊員。この小包を持って小室(こむろ)怪獣のところに行くんだ」
ウルト●マンが好きだった己築は、遊びの予感に目を輝かせながら頷いた。
葦原組の小室とは一度面識があったが、確かに怪獣みたいな顔だったし、嫌な奴だったのを覚えている。
「こむろかいじゅう、たおすの?」
「うーん、己築隊員にはまだ難しいかもしれない。だが全力で戦うんだ。それが隊員の仕事だからな。
でももしピンチになっても大丈夫だ。隊員がピンチの時には誰がくるんだ?」
「うると●まん!」
「そうだ。斎ウルト●マンが己築隊員を助けてくれるだろう!」
「えーっ いつきおじさんがうると●まんなの!?」
志信の友達である面白いおじさん、斎が己築は好きだった。
斎も小室と同じ葦原組の組員だが、斎はいつも己築を可愛がってくれた。斎なら素晴らしいウルト●マンを演じてくれることが期待される。
「ぼくひとりでいくの? おとうさんもいっしょにいこうよ。たのしいよ」
「言っただろ? 一人で行かないと凄い奴になれないんだ。
それにな、俺は斎ウルト●マンより強いから、俺が行ったら主役を食っちゃうだろ」
「くう?」
「ウルト●マンとゴジ●が戦うようなもんだよ」
「ウルト●マンにゴ●ラでちゃだめだよぅ」
「だろ? 今日はウルト●マンの日だから俺はお休みなんだ」
「わかった。ぼくひとりでいってくる」
志信に詳しい遊びの仕方を聞き、己築はわくわくしながら小包を持って小室怪獣のもとに出発した。
葦原組の屋敷は立派な日本家屋だ。大きな門には見張りがついている。
志信からの話で小室は中にいると聞いた己築は葦原組の屋敷前にやって来て、初めてのおつかいのルールを思い出した。
「だれにもきづかれないようにはいるんだよね」
見張りのいる門から離れ、人目がないことを確認する。
人が見ていたら間違いなく己の目を疑うだろう。
幼い子どもが自分の身長の三倍はあるだろう高い塀を超人的な跳躍で飛び越えるのを見たら。
誰にも見咎められることもなく屋敷に侵入することに成功した己築は、
屋敷の中を気配を消して歩き回った。すれ違っても幼児の気配に誰一人気づくことはなかった。
「こむろかいじゅうどこだろう」
おつかいの小包を腕に大事に抱え、長い廊下を曲がろうとしたとき。
曲がり角の向こうから目的の人物の声がした。
「ここでいい。お前たちは下がれ」
障子戸が閉まる音と、数人が立ち去る音。己築はまたおつかいのルールを思い出した。
小室怪獣とは一対一で戦うこと。
「よかったぁ。こむろかいじゅうひとりになった」
己築は気配を絶ったまま、小室の入った部屋に忍び込んだ。
小室は己築に気づかず、背を向けて書類を眺めていた。
「くくっ これで斎も終わりだな」
楽しそうに言う小室の言葉に、知った名前が出てきたので己築は思わず反応した。
「いつきおじさんがどうしたの?」
化け物でも見たかのような表情で小室が振り返った。
「お、お前、高槻の息子か!? どこから入った!?」
「かべからだよ。ねえ、いつきおじさんがどうしたの?」
小室にとっては意味不明な答えを返し、首を傾げて同じ問いをもう一度する己築に、小室は獰猛な眼を向けた。
「お前は斎とも仲が良かったな。
子どもだろうが知られたからにはこのまま帰せない」
スーツの内側に手を入れ、黒い鉄の塊、拳銃が現れた。
「じゃあな」
酷薄な顔に笑みを浮かべ、小室が引き金に力を入れた。
しかし。拳銃から弾が出ることはなかった。
小室が驚愕のうちに目にしたのは、己が引き金を引く前に懐に入り込み、拳銃を軽くはたき落とした幼児の姿だった。
とっさに蹴りを入れた己を小室は褒めてやりたい。
幼児の軽い身体は小室の蹴りに吹き飛ばされた。
だが、幼児は防御をしていたのか大したダメージもなく、くるりと一回転すると再び小室にかかってきた。
小室にはその生き物がもう幼児には見えなかった。
幼児の姿を借りた戦鬼をそこに見た。
目にも留まらぬ速さとはこのことかもしれない。
一瞬のうちに接近され、腹に子どものものとは思えぬほどの衝撃を食らった。
「ぐっ」
膝から崩れ落ち咳き込む小室に、幼児がつまらなそうに容赦ない一言を告げた。
「こむろかいじゅうよわいよ。おとうさん、ぼくじゃかなわないっていったのに」
目の前が真っ赤になった小室は、
スーツから使うことはないだろうと思っていたナイフを取り出して己築に向けた。
「っこの、クソガキがッ」
「あ、おとうさんのおつかいだった」
小包から出ている紐を引き抜いてから、小室怪獣に投げつけること。
戦闘中も常に離さなかった小包を、己築は言われたとおり小室に投げつけた。
スローモーションで小包が近づいてくる。
小室は目を見開いた。
ドォンッ
葦原邸に爆音が響いた。
真っ先に現場に駆けつけたのは、現場の持ち主である小室に呼び出されていた斎だった。
愕然とする斎が見たものは、跡形もなく消し飛んだ部屋と、庭まで吹き飛ばされ、多少の火傷をして気絶する己築の姿だった。
何が起こったのか、大体のところに想像がついた斎は、己築を抱き上げ、人が集まる前にその場を立ち去った。
「志信、これはどういうことだ?」
斎が気を失ったままの己築を連れて友人のマンションへ行くと、
友人は悪辣な笑顔を向けてきた。
「あれ、わかっただろ? 俺はお前に貸しを作ってやったんだよ」
斎は以前、彼ほどのものとは思えないほどのミスを犯した。
そのミスで小室は斎の足をすくい、斎の地位に成り代わろうとしていたのだ。
それに逸早く気づいていた志信が友人のために先手を打ったのが今回の事件の真実だ。
「お前はっ そのために己築を使ったのか!? 後少しで己築も危なかったんだぞ!!」
「うーん、己築なあ。もうちょっと上手くやるかと思ったんだけど、まだまだだったな」
また扱きなおしだな、と飄々と言ってのけた。
「己築はまだ四つの子どもだぞ!?
それをお前は……っ お前には親の資格はない!」
「はん。ヤクザが親を語るなよ。寒いだろ」
「ヤクザだからこそ言ってやる! もっと子どものことを考えろ!」
「考えてるさ」
己築よこしな、と斎が抱えていた己築を奪い返した。
「俺は己築を愛してる。だから俺の全てをこいつにやるって決めたんだ。これが俺の愛だ。お前にだって文句は言わせない」
冷徹な眼が斎を射抜いた。その眼を見た斎には、もう何も言うことはなかった。
「俺はもう何も言わない。だが、志信。いつか己築自身がお前を否定するかもしれないぞ」
「そのときは己築が俺を超えたときだ。なら俺はそれを受け入れざるを得ないだろ」
眠る己築を見る志信の眼差しは、どこまでも慈しみに満ちていた。
友人の壮絶なまでの覚悟を知った斎は、そのまま何も語らずその場を後にした。